「日本最大の映画スターと日本最大の名少女子役の親子全共演作」と題して公開して参ります。
映画を極めろ一直線女子 歴代大名優形成と戦慄激戦の日々 月形龍之介VS沢村国太郎編を公開しました。裏側は独自路線で展開しています。
今回の上記リンク先の表は月形龍之介 沢村国太郎 人生劇場 吉良常 時代劇六大スター 鶴田浩二 ジャニーズ事務所 国立映画アーカイブ 沢島忠などが登場し、濃厚にお送りしています。
日本最大の映画スターと日本最大の名少女子役の親子全共演作に迫れ
前回に次いで名子役、日本映画最大の黄金期に活躍した映画の名少女子役の植木千恵の伝説に迫っていきましょう。名少女子役としていますが、活動は生まれて数歳の赤ちゃんまたは女児から少女時代までと大まかに子役の2っ、または3つの子役時代を過ごしています。
前回 ↓ ↓
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前々回 ↓ ↓
eiga-ityokusen-jyosi-tubuyaki.hatenablog.com
植木千恵は記録が残る限りの作品だと1953『女間者秘聞 赤穂浪士』(父は時代劇映画通産最多観客動員を記録した国民的映画スター片岡千恵蔵、その戦後の忠臣蔵3作目、戦前含めると20作目に該当)で主人公の大石内蔵助の息子の一人の大石大三郎役で出演、女児、少女ですが男児、少年を演じています。
<片岡千恵蔵と長女の植木千恵の全共演作(植木千恵目線)>
1953『女間者秘聞 赤穂浪士』 大石内蔵助の息子の大石大三郎役 千恵蔵の忠臣蔵もの デビュー作、時代劇映画初出演、オールスター初出演、監督は大ヒットメーカーの巨匠の佐々木康
1953『片目の魔王』 当たり役の現代劇の多羅尾伴内シリーズ、植木千恵の現代劇初出演、監督は佐々木康
1953『大菩薩峠 第三部 竜神の巻 間の山の巻』または『大菩薩峠 第三部(1953)』 千恵蔵の6作ある大菩薩峠の前期3部作の3作目、監督はヒットメーカーの大巨匠の渡辺邦男
1953『青空大名』 股旅とお家騒動要素の異色コラボを断行、
1954『一本刀土俵入(1954)』 千恵蔵の戦前の股旅時代劇の代表作を自分でリメイク、監督は佐々木康
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1954『南国太平記 前篇』 原作は直木賞の直木三十五の大有名作
1954『曲馬団の魔王』 大ヒットの多羅尾伴内シリーズ、監督は佐々木康
1955『血槍富士』 千恵蔵の戦後の著名な単発映画の代表作の一つ、大巨匠の内田吐夢の戦後第1作
1955『喧嘩奉行』 父の当たり役の時代劇映画の遠山の金さんシリーズ、監督は名コンビの佐々木康
1955『青龍街の狼』 大ヒットした当たり役の二丁拳銃もの、ギャングシリーズ、監督は名コンビの松田定次
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1955『飛龍無双』 または『だんまり又平 飛龍無双』の題名もあり 文部省選定作、千恵蔵の無双もの第2作ともいえる。千恵蔵の戦後の単発代表作の一つ、監督はヒットメーカーの巨匠の佐々木康
1955『荒獅子判官』 大ヒットの千恵蔵の遠山の金さんシリーズ、監督は佐々木康
1956『黒田騒動(1956)』 巨匠の内田吐夢流の解釈による栗山大膳、有名な黒田騒動ものの名作
1956『赤穂浪士 天の巻 地の巻』 主演の市川右太衛門の大石内蔵助の娘のおくう役、千恵蔵は上位助演、植木千恵は脇役で共演、監督は巨匠の松田定次 *年間観客動員ベストテン第1位の名作
1956『長脇差奉行』 遠山の金さんシリーズ
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1956『野郎ども表へ出ろ』 当たり役の二丁拳銃もの&ギャングシリーズ
1956『海の百万石』 植木千恵は片岡千恵蔵の主人公の幼年時代を演じる。海洋時代劇映画
1956『曽我兄弟 富士の夜襲』 3大仇討ちもの、助演共演、監督はヒットメーカーの巨匠の佐々木康 日本三大仇討ちの一つ、*年間観客動員ベストテンランクイン
1957『任侠清水港』 *年間観客動員ベストテン第1位 千恵蔵のメガヒットの次郎長1作目の名作、監督は大ヒットメーカーの巨匠の松田定次
1957『海賊奉行』 ご存知、千恵蔵の当たり役の一つの遠山の金さんシリーズ
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1957『素浪人忠弥』 千恵蔵は槍物の丸橋忠弥
1957『はやぶさ奉行』 遠山の金さんシリーズ、シリーズの初カラー作品
1958『任侠東海道』 *年間観客動員ベストテン5位入り メガヒットした千恵蔵の次郎長2作目の名作、監督は大ヒットメーカー松田定次
1958『直八子供旅(1958)』 父の千恵蔵自身による戦前の名作のリメイクで、植木千恵は主人公の直八の子どもの少年の八百吉を演じる。監督は佐々木康
1958『火の玉奉行』 大好評の遠山の金さんシリーズ
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1958『旗本退屈男(1958)』 父の千恵蔵と共に市川右太衛門300作記念作に祝いの助演同士共演、監督は松田定次
1959『忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻』 植木千恵は主演の千恵蔵の大石内蔵助の娘おくう(劇中はお空)役 *年間観客動員ベストテン5位入り、監督は松田定次
1959『浪花の恋の物語』 父の千恵蔵とともに助演共演、千恵蔵はオオトリ出演、高い評価の文芸大作、監督は内田吐夢
1960『壮烈新選組 幕末の動乱』 千恵蔵のヒットの新撰組もの、監督は佐々木康
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*共演の通算29作のうちのほとんどがオールスター
*1954『南国太平記 前篇』には出演していますが、後編のは出演していません。
上記の共演の29作を見ていただけると分かるかと思いますが、前回でも取り上げていますが、植木千恵は映画出演50作ほどのうちの29作の大多数で父・片岡千恵蔵との共演作があり、ほとんどが有名作やヒット作、父との共演作だけでも特に三大巨匠の松田定次、佐々木康、内田吐夢の映画に多数出演しています。これだけでも非常に濃密な出演履歴です。
『浪花の恋の物語』の大俳優の生涯1度きりの共演と植木千恵
1959『浪花の恋の物語』は巨匠・内田吐夢の数多い20作を越す代表作の一つ、主演は中村錦之助と有馬稲子ですが、3番手で出演している片岡千恵蔵の顔も右下に見られます。
近松門左衛門の原作で近松門左衛門役を演じています。ここも珍しい面白い部分です。片岡千恵蔵は有名な近松門左衛門役で大トリ表記、田中絹代は劇中ではクレジットでは事実上の4番手扱いです。
『浪花の恋の物語』は日本映画史上を代表する超大俳優同士の片岡千恵蔵と田中絹代の生涯で唯一の共演作としても知られています。片岡千恵蔵と田中絹代の助演の代表作の一つに含まれますが、そこに植木千恵はお玉役で出演しています。
近松門左衛門=江戸時代を代表する浄瑠璃が中心の作家、江戸時代の平均寿命が短い中で1670年代から1720年代にかけて50年近い長期間の活躍、現在も有名な題材を10作ほど残す。歌舞伎や文学、舞台、映画、テレビドラマなど、日本人特有の悲哀の美学的な作品群の後世の作家たちに多大な影響を与えている日本を代表する大作家の一人。
父親の力を全面に受けて少女子役最多のオールスター映画に30作近く出演
なぜ植木千恵が共演29作のうちのそのほとんどでオールスター映画に出られたのか、その理由は父の片岡千恵蔵が日本歴代最多のオールスター映画俳優だったことが原因です。片岡千恵蔵は世界歴代最多、日本歴代最多の105作を越すオールスター映画に出演(有名俳優のみ)し、なんとオールスター映画の主演数も世界歴代最多、日本歴代最多の85作を越しています。
この2つの映画大記録は今後もなかなか破られることはほぼないでしょう。この記録に植木千恵も少なからずの貢献があったことも共演歴でわかってもらえるかと思います。
記事前半表記の<片岡千恵蔵と長女の植木千恵の全共演作(植木千恵目線)>のそのほとんどが父の片岡千恵蔵の主な代表作であり、娘である植木千恵の主な出演作の大半を占めています。今後、50作以上映画に出演する俳優は日本や海外にもたくさん現れると思われますが、彼女は父のおかげといえども、出演映画50作ほどのその半分以上の主な出演作を獲得していました。
この高い代表的作品群の的中率は今後50作以上映画に出演する俳優が現れても、女児、少女の子役には大困難、成人俳優でもかなり難しく、植木千恵の残した大きな実積の一つといえるでしょう。これから現れることがないレベルの日本最大の名少女子役です。